なぜファイナルファンタジーをプレイしなくなったのか…について(ゲーム)







「なぜファイナルファンタジーをプレイしなくなったのか真面目に考えてみる」という記事。

>FFは9以来やっていない(8で落胆、9で絶望)

自分もシリーズ通してXII(XIはやってない)まではやったけど、XIIIはスルー。
以降、この記事の内容に対して自分の意見を書いていきたいと思います。

>単純にやらなくなった理由を述べてしまえば購買意欲が沸かない、つまりは面白そうに感じないわけである。

XIIIに関して言えば、まさにこれですね。
まずキャラクターに興味がわかない(絵的にも性格的にも)、ストーリーがどうでもいい、グラフィック?綺麗だから何?という感じでした。

>ちなみにFF3は親父と一緒にプレイをしFF5はジョブマスターするまでやり込んだ。FF6は発売日なのに希望小売価格以上の値段で売られていたにもかかわらず即買し、FF7のためにPSを買ったほどのFFファンだった。

ファミコン、スーパーファミコンの時代にはドラクエよりもFFが好きでした(現在はドラクエの方が好き)。
その理由としては、ドラクエが中世ファンタジー風の世界観なのに対して、FFはタイトルのファンタジーにふさわしい幻想的な世界観を持っていたこと。
そしてドラクエにはないシステム、キャラクターのジョブ(職業)や戦闘シーンでサイドビューにより味方キャラクターが表示されたり、武器を振る、魔法を唱えるといったアニメーションがあったことや、たくさんの乗り物(一作目から船と飛空艇が出てくる)が登場したこと。
絵的にもドラクエが鳥山明氏ならFFは天野喜孝氏という特徴がありました。
天野喜孝氏のあのイラストが、どのようにゲーム内で表現されるのか…それも楽しみの一つでした。
この時点でのFFはドラクエに比べて先進的なRPGという印象。
常に新しいものを求めている(表現している)という。

>まず7までは楽しめていたので原因の一端は少なくとも8以降にあると考えていいだろう。

個人的にVIIIはシリーズで一番面白くなかった。
ストーリーはもちろんキャラクターに興味がわかなかったのは今作が初めて。
当時、キャラクターが芸能人に似ているということで話題になっていた気がする。
うろ覚えだけど、スコール=GLAYのテル、リノア=松たか子、セルフィ=広末涼子…といった感じだったと思う。
そしてドローシステム。

>8はLVも上がらず魔法も覚えない。店もないに等しい。シナリオも正直紙芝居を見ているようであった(でもドローシステムは意外と評価してる)

自分はこのドローシステムが一番ダメなところだと思った。
なにしろこのシステムにより、[新しい敵が登場→みんなでドロー]を繰り返す羽目になり、ジャンクションシステムにより魔法はキャラクターの強化に充てる必要があるため、戦闘中に使う魔法は回復魔法のみという状況だった。
だからストーリー序盤で、サンダーが有効なボス敵(しかも時間制限あり)に対してサンダーを使用したくらいで、以降攻撃魔法は殆ど使わなかったので、VIIIは魔法のエフェクトをほとんど見ていない。
ちなみにVIIIで良かった点は王菲(フェイ・ウォン)の「Eyes On Me」と、敵の死に方が妙に凝っていたところ。

Final Fantasy VIII - Eyes On Me


>9は「原点回帰」と歌うだけあってLV制度も復活し、旧作と同名の敵やダンジョンも登場したがボスを倒す→ムービー→新天地へ行く→ボスを倒す・・・のエンドレスエイトであった。

IXはセーブデータを整理したときに、間違って新しいデータを消してしまったので、途中でやめてしまいました。
このゲームの主人公は最初から「盗む」のアビリティを持っているので、ついつい戦闘が長くなりがちだったのを思い出します。
このIXとXIIはクリアしないで途中でやめているのですが、その際まったく後ろ髪を引かれませんでしたね。
ストーリーの続きが気になる…なんてことはまったくなし。
一方、XはFFシリーズでもかなり好きな方で、とにかく先に進めてストーリを知りたいと感じた作品でした。
X-2は微妙。

FFはストーリー重視のゲームで、その表現としてはシリーズを重ねるごとにより映画的な方向に進んできていたこともあり、プレイヤーの自由が少なくなっていましたね。
もっといえば、その世界の中でプレイヤーが演じるべき役割が存在しないという、ジャンルとしてはRPGだけどロールプレイングゲーム(※)ではなくなっていたという感じでしょうか。

(※)ロールプレイ(role-play)という言葉は、文字通りには、キャラクターの社会背景や立場、仮想の人格を含めた“役割を演じる(役割演技)”という意味ロールプレイングゲーム - Wikipedia
ファイナルファンタジーXIIIでいうなら、プレイヤーがライトニングになりきってストーリーを楽しむこともできるわけですが、実際にはプレイヤーがライトニングを演じる余地はないので、それは難しいのではないかと思います。

この[プレイヤー≠主人公]というゲームの場合、キャラクターとストーリーが自分の好みに合わないと、まったく興味が湧きません。
現在RPGといえばこのスタイルですから、FFに限らずテイルズシリーズやスターオーシャンシリーズなども興味がなかったり…。
この手のスタイルで好きなゲームはグランディア、ゼノギアス、ゼノサーガIあたりですね。他にもあるかもしれませんが、とりあえずこれだけ。
ちなみにゲームアーツのルナ1・2も自由度が低い、ストーリー重視のゲームでしたが、けっこう楽しめました。
これらの作品は、まずヒロインが重要な役割を持っていて、パーティに一時的にしか加わらず、最終的には彼女を救うために敵のボスと戦うことになります(こういうのイヤなんですけど、モチベーションにはなりますね)。
また、これまでにいった街に自由に戻ることが出来なかったりと、一度だけのプレイを楽しむようなゲームでした。

>自分がゲームキャラになって自分視点で物語を楽しむのがRPGの意義であり究極の形だと思うが最近のFFは誰かが冒険してる様を空の上から眺めてる感じ。

自分がやりたいRPGはまさに「自分視点で物語を楽しむ」スタイルだけど、中にはこのスタイルだと楽しめない人もいるんですよね(主人公が意思表示をしないことに違和感を覚える人とか)。
多くのRPGが、プレイヤーがその世界に不在のままでストーリーを展開していく中で、あくまでも[プレイヤー=主人公]のスタイルを保っているペルソナシリーズ(3と4ね)はまさにツボでした。
ペルソナの主人公は物語の舞台に転校してくるという設定により、その街のこと、その街に暮らす人々のことを知らない理由がはっきりしていて、それはゲームを始めたばかりのプレイヤーと同じ立場にあるということ。
そのため、他のキャラクターとの関わりがお互いを知ることから始まり、徐々にお互いを認め合い、そして仲間になることができる。
それこそ親友とか、幼馴染みで気になる女の子という設定のキャラクターが当たり前のように登場することはない。
だからこそストーリーと向きあいやすいのではないでしょうか。

>あとは端的に

>・キャラがキモイ(ケバイ)

>・↑に足して登場キャラが好きになれない(鬱入ってる感の奴が多い)

>・ムービー邪魔(サクサク感がなくて冷める。)

>など。特にRPGで主人公パーティが好きになれないとか致命的かと。


最近は特にムービー関連が鬱陶しく感じるようになりました。
スタートボタン押してスキップ出来ないとか、なんの嫌がらせだよwと思うこともあります。
特にゲーム始めて序盤、まったく操作出来ずにただイベントシーンを長々と見せられると、それだけでイライラします。
面白ければそんなこと感じないわけですが、そうでない場合は早く自分で動かしたくなるのです。

また、「特にRPGで主人公パーティが好きになれないとか致命的かと」に関しては激しく同意。

FFをプレイしなくなった、もっとも大きな理由がこれ。
ストーリーもMAPも一本道、ということよりもこれ。
プレイ動画を見てまったく興味が湧かなくても、実際に自分でプレイしたら面白いかもしれない。
でも、キャラクターに魅力を感じなければ、そもそもプレイしようとは思わない。
だから本当はゲームとして面白いものかもしれないけど、それを知ることはないのだろうな…
でも、FFXIVはやってみたい。


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